カンノのひとりごと

なぜ作文を学ぶのか?

みなさん、こんにちは!

作文講師の菅野恭子です。学習塾シンクスで作文を教えています。

さて、昨日は、よい作文=優等生風の作文なのか? ということを書きました。

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私自身は、よい作文=優等生風の作文ではないと断言します。

昨日の投稿では、その理由まで書かなかったので、今日はそのあたりを。

書かされる作文はめんどくさい

いま、大人のみなさんに聞きたいのですが。

学生時代は、作文は書かされるものだったのではないでしょうか?

提出しなくてはいけないから書く、宿題だから書く、というスタンスで、「わ~、作文だ、嬉しいな♡」という人は、少数派ですよね。

もちろん、新聞部とか文芸部(でいいのかな?)などで積極的に文章を書きたいタイプの子もいます。将来作家になりたいとか、編集者になりたいとか、明確に書くことを仕事にしたいという夢を持っている子は、少なからずいます。

でも、ほとんどの子にとっては、作文は面倒なものといって間違いないでしょう。

なぜ作文を学ぶのか?

では、その、多くの子にとって面倒な作文。

作文を学ぶ意味って、どこにあるのでしょうか?

  • 読解力がつくから?
  • 国語の勉強の一環として?
  • 受験対策?
  • 書く力は一生モノだから?

わが子に作文を習わせてみようかなと思う親御さんの考えは、このあたりが一般的です。

中高一貫校や、高校受験で作文が課されることが増えてきていますしね。

他にも、人それぞれ、いろいろ理由があるでしょう。

もちろん、書く技術を身につけるのはいちばんの目標になるでしょう。

でも、単に文章が書けるようになればOKなのか?

それは、違うのではないでしょうか。

作文を学ぶこととはなにか、私がいちばん伝えたいことは、他にあります。

昨日の投稿で述べた、思ったことを素直に書くことにもつながります。

書くことは自己表現 作文は心を育てる

作文は国語の勉強に分類されますが、音楽や絵画と同様、情操教育の面もかなり持ち合わせています。

自分をどう表現していくのかにはじまり、自分は何を考え、何が好きで、どんなときに怒り、どんなときに喜ぶのだろうといったこと、つまり自分を知るための手がかりを探ることができるのが、作文を書くことなのです。

自分というぼんやりとした姿に焦点をあて、はっきりとした形にしていく。

そんなイメージです。

これが、子どもにとってはとても大切なプロセスではないかと私は考えています。

自分がわからない

ちょっと話題を変えますが、大学へ進学したはいいものの、やりたいことがわからない学生が多いそうなのです。

数か月前くらいのことだったと思いますが、やりたいことがわからないという大学院生のツイートが話題になっていました。

 

いま頑張れば将来は楽ができるから、そう信じて勉強してきたけれど、結局私ってなにがしたいんだろう?という気持ちすらわからないくらい、自分の気持ちを置き去りにしてきたかも……

そんな内容なのですね。

実は同じ状態の学生さん、かなりいると思うのです。

学生さんだけじゃありません。

いい年をしたオトナもそうなのです。

自分探しがテーマの本が売れ、セミナーが大盛況なのがそれを物語っています。

また、最近は、好きを仕事に!という働き方に注目が集まっているのもあり、自分の好きなことはなんだろうとふと疑問を抱くオトナも増えています。

その原因は、自分との対話がなかったことにあるのでは?

自分との対話にぴったりなのが作文

作文には、答えがありません。

(学校で書く作文は、道徳的観点が評価の基準と昨日書いたとおり、模範解答的な内容がよしとされるのは置いておいて、実際に答えはないんです。)

たとえば、「うれしかったプレゼント」という課題で書く場合、書く人の数だけ異なる「うれしかったプレゼント」が登場してあたりまえ。

そして、そのプレゼントについて感じることや考えることもまた、書く人の数だけ存在します。

ですから、正解はありませんよね。

自分の体験を書いていくには、自分の思いを丁寧に掬っていく作業の方が重要なのです。自分との対話と言ってもよいでしょう。

それは、書き方のテクニックよりも重要です。

 

特質の種を探る

そして、書かれた作文の中には、その子の持つ特質が顔をのぞかせています。

 

豊かな感受性があふれる子。

とにかくポジティブ明るい子。

コツコツひとつのことを続けることができる子。

好奇心旺盛、なんでも顔をつっこみたい子。

物事を批判的に分析できる子。

 

同じ課題の作文を何人分も読んでいると、ほんとうにその子なりの特質が現れるなあと実感します。

この特質を自分のよさとして理解することができたら、少なくとも、「やりたいことがわからない」状態は避けられるのではないでしょうか。

プラシーボ効果ではないですが、その特質を褒められることが続けば、いやでも自分にはそういった面があるのだと実感できると思うのですよね。

自分との対話をしながら作文を書き、そこに現れる特質を認めてもらう。

15年に渡る指導経験を通じて実感しているのは、作文の学習は貴重な自己表現の場であると同時に、自己肯定の場でもある、ということです。

 

学校ではよしとされない資質も社会では生かせる

たとえば、批判的な視点で物事を見て、分析することができる特質を持つ子。

この子が、持っている特質を生かした作文を書いた場合、批判的という点で、きっと、学校での評価はあまりよくないものになると考えられます。

ところが、この特質は、社会では生かすことができるものです。

学校生活において、模範的な優等生にふさわしくない特質は排除されがち。

だから、作文を書くにしても先生の意向を汲み優等生風の内容を書かなくてはいけないとなるのでしょうね。

そうしているうちに、自分の気持ちがわからなくなってくる。

自分との対話をするには、思ったことを素直に書かなくてはいけないのはそのためです。

書くときに自分を偽っていたら、自分の気持ちに鈍感になっていくのも当然です。また、持って生まれた素晴らしい特質を眠らせたままになりかねません。

私が考える作文を学ぶ目的

長々と書きましたが、作文を学ぶ目的は、自分を知るためです。

自分を知り、自分をどう生かすか、どう社会に貢献できるか。

それを考えるための第一歩に最適なのが作文なのです。

「好きなことがわからない」

わが子がそんな状態になってしまったら……

親としてはとても悲しいものがありますよね。

それは、成績が良いとか素行がよいという以前の問題です。

自分の特質を理解し、生かしていける子、自分の好きなことに意欲的に取り組める子。

どうですか? 素敵じゃないですか?

作文を学ぶ子の特質や才能の芽をひとつでも多く見つけて、成長を応援したいですし、作文を学ぶことがその一助になったら素晴らしいな、そう思っています。

 

 

 

ABOUT ME
菅野恭子
筑波大学第二学群日本語・日本文化学類卒。 作文指導に定評のある言葉の森にて指導に携わる。 現在、言葉の森の教材・指導法にてシンクス東品川教室・シンクス上永谷教室・シンクス阪東橋教室で作文教室開講中。 2000年2001年2002年生まれの三兄弟の母。