国語力はすべての学力の土台
みなさんもよく目にする言葉だと思います。
では、なぜ、国語力がそんなに大事なのでしょうか?
日本の大学では、一般的に講義は母国語である日本語で行われますよね。
実は、母国語で大学教育を行っている国は、世界的に見てもとても珍しいのだそうです。なぜ母国語で講義ができないのかというと、高度な学問を論ずるための概念や語彙が存在しないからのようです。そこで、多くの国では、大学教育は英語に頼らざるを得ないのだそう。
英語が話せない日本人が多いのも事実ですが、その事実を反対側から見ると、英語ができなくても高度な学問を勉強できる環境にあるからだと言えるかもしれません。
さて、なぜ日本では、外国語の難解な概念を母国語に取り込むことができたのか。その一因は、日本語の柔軟性にあるようです。漢字とひらがな、カタカナを巧みに使いこなすことで、高度な概念も自分たちの言葉の中に生み出すことができたのですね。外来語もカタカナで自由自在に取り入れていますものね。
明治時代、全く新しい学問や文化を目にしたときの驚きは、きっと現代の私たちには想像を超えるものがあったでしょう。柔軟性という日本語の特性を駆使し、未知の学問に対応してきた先人の知恵には、尊敬の念を抱かずにいられません。未知の概念を日本語として取り入れた一部の知識人は当然のこと、それを理解する素地を持っていた一般の日本人も、尊敬に値すると思うのです。
もともとは存在しなかった概念を外国語で取り入れ、それを母国語に翻訳し、咀嚼する。これは、かなり複雑なことです。一部の知識人が理解するまではさほど苦労しないでしょうが、それを一般的に広めていくとなると、受け入れる層のレベルも問われます。ごくわずかの年月でその作業を成し遂げたということは、国民全体の学力の土台が整っていたからだと思わざるを得ません。これは、読み書きそろばんといわれる寺子屋での学びが大きかったのではないでしょうか。江戸時代の日本人が高い識字率を誇っていたことについては信憑性がないという学者もいるようですが、明治維新後の状況を考えると、あながち間違っていないのでは。
つまり、読み書きの力が整うということは、学力の土台だけでなく、考える力の土台にも直結するということ。
国語力は頭のよしあしそのものなのです。性能のよいパソコンといえばわかりやすいでしょうか。だからこそ、国語力はすべての学問の土台と言われるのだと思います。
単語だけでも話が通じてしまう今のご時世、意識して国語力を鍛える努力をする必要があります。読書をして語彙や表現をインプットする、そして一方で書く機会を持ちアウトプットする。こうした地道な作業が国語力をつけるいちばんの近道なのです。
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