子どものころの気持ち。
いったいいつ、忘れてしまうんでしょうか。だれもがみんな子ども時代を過ごして大人になったのに。。。
「うちの子、自分の考えや思いがないみたい」
とお悩みの方、もしかしたら、大人の気持ちを押し付けているからかもしれません。
大人が想像する子どもの気持ち
大人が想像する子どもの心のうちは、だいたい、実際の子どもの気持ちとはずれています。
作文指導においても同じ傾向があります。
「子どもはこう考えるはずだ」
という前提で、指導される場合がとても多いのです。
どういうことかというと・・・
たとえば、入学式の作文を書かせるとしましょう。
そのときに、結びに使う一文の具体例では、
「入学できてうれしかったと思いました」
「明日から学校に来るのが楽しみです」
など、大人が思いつく感想をおしつけがち。
親が書かせる場合もそのようになりませんか?
確かに入学式はおめでたいことです。ですから、「うれしい」「楽しみ」「わくわく」というプラスの感情がわいて当然と、大人は発想するわけです。
そして、優等生風の感想が入るといいなという勝手な大人の願望も加わってしまうのですね。
驚いたエピソード 長男の場合
私の長男が小1のときの話です。
生活の授業で、1年間の写真数枚をもとに、思い出をまとめました。行事など思い出の写真に、2~3行の解説を添えて作っていきます。
入学式の写真に添えられた長男の作文は、こんな解説が添えられていました。
ママは、なんまいもしゃしんをとりました。ぼくは、どうしてそんなにとるんだろうとおもいました。いちまいとればいいのにな。
これを読んだとき、とても衝撃を受けたんですよね。
入学式についての感想が、
写真撮りすぎ!
だとは。
こんな感想が出てくるとは思いもしませんでした。と同時に、なんておもしろいんだろうと、おかしくてたまらなくなったんですよね。こんな貴重な入学式の記録はないな、と。
個性を潰さないために
長男のこの一件で、大人の勝手な思い込みが、いかに子どもの自由な表現を阻んでいるか、実感しました。
うちの子は、頑固なところがあって、自分が思った通りのことをやりたいタイプ。
そんな子とは反対に、自分の書くことが正しいか、とても気になる子や、大人が挙げる具体例のように書かなくてはいけないと思う子もいます。
わが道を行くタイプの子は、指導する側の具体例などどこ吹く風、まったく意に介さず自分の思うことを書いていけるのですが、それに反して、大人の言うことを聞かなくてはと考える子は、自分が思った通りのことを書けません。遠慮もあるのでしょう。大人のいうとおり、無難なものを書こうとします。
もちろん具体例を挙げることは、
「わかった! こういうことを書けばいいんだ!」
と、コツをつかむ一助になります。
しかし、生徒さんの性格によっては、せっかくの個性が隠れてしまう場合もあります。
どんなことを書いてもよい、思ったことに正解はない、ということをしっかり伝えていくこと。また、そういった雰囲気を作っていくことが大切だと感じています。
この点は、指導する側が忘れてはいけないことではないでしょうか。